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距離を置く [母・家族のこと]


今、我が家はひとつの岐路に立っている。
メンタルしんどい。夫も大変だろうから支えたいのだけど
考え疲れて、考えることから逃げている・・・が現在地。

そうは言いつつ今日は老後に向けて夫の保険の見直し。
もっと保険料下げたいけど、とりあえず今すぐ判断できる範囲で
減額申し込みをした。ゆくゆくは安価なネット保険に移行したい。

生保外交員の母の成績のために言われるがまま入った保険なのに、
母は自分が引退したとたんに「ネットで安く入れば?」だって"(-""-)"

しかも何か質問すると面倒くさそうに答えを濁らせる。
夫はやさしいので、保険料高いと知りつつも「お義母さんが現役
のうちは続けてあげようよ」と言ってくれていたのに。

保険のこと以外でも最近では超ネガティブな母と何か話せば途中
から言い合いになってしまうとわかりつつも、とりあえず今は
実家に行く気力もないので電話したら、予想通り喧嘩勃発。
自分もメンタル余裕ないときに電話なんかするんじゃなかった
・・・私の判断ミス。

それであらためて思ったのだけど、なんかもうだめだな・・・
と。母を支える気力なんか今の私にはないなと思って。
育ててもらったことに感謝してるけど、母は昔の母とは
変わってしまったから・・・そして私にも余裕ないから
受け止めるのは無理。

きょうだいも、「なんであんなにネガティブな人になっちゃった
んだろう。遠出するときとかにずっと話聞いてるのしんどい」
とポロリと言っていた。

そうなのだ。母は被害妄想がどんどんとひどくなり、人の悪口も
どんどん増え、最近の記憶は薄いが昔のことで自身が傷ついた言葉
などはよく覚えており、それをねちねちと繰り返し話す。
聞いていると本当に嫌な気持ちになる。きょうだいは我慢するか
スルーしてるんだろうけど私は我慢しきれなくなり、まともに
「そんなこと言わないで!」と取り合ってしまうのだ。
だって、ほんとに嫌なんだもの。

体調のことも延々につらいといわれるので、そりゃあもう
調子いい日なんかないだろう、と思うとまともにうんうんと
聞いてあげられなくて、たいていは聞き流す。
そうだねー、つらいねー、と同調すればいいんだろうけど・・・
心のどこかに「子供にそんな心配させるようなことをなんで
わざわざ言うんだろう?」と思う冷めた自分がいるのだ。

もっと冷めたことを書くと、もう人生の終わりに近づいている
んだから1日でも笑って楽しく過ごしたくない?
つらいと話す人話す人に泣きついたり、人の悪口や愚痴
ばかり言って終わる人生なんて悲しくない? 少しでも
楽しいことをしようとか、せめて考えようとか思わない?
と思っている。まぁもう無理なのだろうけど・・・。

したがって、今の私では母を支えきれないので、
自分がもう少し元気になるまでは距離を置こうと思う。

喧嘩をするたびに、私自身も傷つき、ネガティブになって
しまう。老いた母になぜやさしくなれない?と自分が嫌に
なるのだ。

長生きっていいことなんかないのかなと、母を見て
思ってしまう。本当に悲しい。


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K子さん、掃除ができない母の事 [母・家族のこと]


今週、友人K子さんに会った。7月に会う予定だったのだけど夫のコロナ
でキャンセルさせてもらったのでなんとしても会いたかった。
いろいろ気落ちすることが多かったし予定もいっぱいで体力的にも
しんどく、あんなに楽しみにしていたのになんだか体が重く、
自分を奮い立たせて行った。

結果、とっても楽しかった。彼女の突拍子もない発想はいつも
感心とともにわくわくさせられる。すごいエネルギー。パワー。
私にはない行動力。めちゃくちゃ笑った。久しぶりだった。


愛犬は少しずつだが快方に向かっている。
高額だったが検査もして不調の原因がわかり、とりあえずは
一安心した。新しいかかりつけ医も見つかった。
よかった。でもまだ安心せず、ちゃんと見ていこう。
そしてもう後悔しないよう、愛犬にとって良いことを
しっかり判断してあげよう。今回の私のミスを肝に銘じて。


今日は久しぶりに実家に行った。母から来てほしいと言われていた。
ここしばらく台風や愛犬の不調や私の在宅ワークや、なんやかんや
行けてなかったのだ。気にはしていたけど、タイミング合わず
いつ行こうかと思っていたら、むこうからまた鬱コールが来た。
今週は予定が立て込んでいる+今日の湿気はとくに厳しく、
体力的にもしんどかったがなんとか行った。

今日は2階の母の寝室の片付け。母の居室はもう1階に移した
ので今は使ってないのだが、ここをきれいにして私やほかの
きょうだいが泊まれるようにしたいと思っている。それにしても
ひどい荒れ具合で、まるで泥棒が入ったかのような物の散乱ぶり。
それは前から知ってたが、さらに私を苦しめたのはホコリ。
ものすごかった。ベッドの下や裏など・・・いたるところに
分厚いホコリ。他の部屋もそうだが、床には何年も前から
放置した物や書類の山。それらもすべてもれなくホコリだらけ。
よくもまぁここまで放置できたものだと理解に苦しむとともに
哀しさと、疲れていたこともあって、怒りすら感じた。
今日だけでは半分も掃除できなかった。

何年も前から「時間できたら片づけるから放っておいて!」
と言いきってたのに結局やらなかった母。そのまま足腰が弱り
自分で掃除ができなくなった母。もともと掃除ができなかった母。
それらを今、娘にやらせていることに対して、少しでもすまない
気持ちはないのだろうか。
そういう感情すら消えてしまったのだろうか。

今日は特に疲れていたのでついついきつめに言ってしまう。
言いながら反省する。自分を責める。
自分が嫌になる。
母を落ち込ませないようにしなければいけないのに、とても
そんな余裕がなかった。でももう・・・母もそれほど傷つき
もしないのかもしれない・・・
買い物メモを書こうとして文字が出てこないようだった。
少しずつ進んでいるなぁ・・・と思った。


今日はやさしくなれなかった。

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母の急な変化 [母・家族のこと]


気分の落ち込みが激しくなり、対応が難しかった母。
すっかり足腰も弱り、杖なしでは歩けなくなったので家事を
手伝いに行くと申し出ても汚い家を見られたくないと固辞されて
いた。

それが先週急に、鬱がひどくつらい、かかりつけの病院の診察に
同行してほしいとSOSの電話。
これまでにも2度ほど同行したことがある。

ここのところますます気分の落ち込みと、腰の痛みの訴えが強く
なってきていたが、母から同行してほしいと言ってくるとは
思ってなかった。

正月以来、久しぶりに会った母はすっかり変わっていた。
「こっちの手を取って歩いて。」
数十年ぶり、いやたぶん子供の頃以来ぶりに母の手を取った。

介添えがなければ歩けないぐらい弱っていた。

診察中、私は何も言わなかった。先生に聞きたいことは山ほど
あった。でも、聞かなかった。
先生は少し気分が落ち着く薬をいつもの眠剤に加えて出して
くれたけど、これも効かないんだろう、とその時点ですでに
私は思っていた。
それでも母が望むならこの流れにつきあわなくてはならない。

診察を終えて実家までの帰り道、母はタクシーに乗り込むのにも
難儀した。

驚くべき変化・・・悪いほうに。

ほぼ一人では歩けなかった。

ものすごい動揺した。ショックだった。

家の中は当然、雑然としていた。
風呂も洗面所もシンクも汚れが目立つ。でもこの体では掃除
なんかとうてい無理だ。玄関がすえた匂い・・・初めてだった。
何かが壊れかかっているのがわかった。

平静を装い、母に頼まれたパンや夕飯用の総菜などの簡単な買い物
と、玄関先の荷物を運び、米を研いで炊飯器にセットし、シンク
に溜まった皿を洗い、猫におやつをあげて、そして・・・話をした。

今まで断片的にしか聞けてなかった大事なこと・・・
母は珍しく何もはぐらかすことなく話した。いつもはなんだ
かんだ肝心なことは言わないのに。
そういうのを聞かされないまま母の記憶がなくなってしまったら
どうしようと思ってきたから、少しほっとすると同時に
もうエンディングが近いと本人も思い始めているのだと思うと
胸がぎゅっとつかまれる思いだった。

とりあえずトイレに行きやすいように母の寝室を1階に移そう
と提案した。片づけて電動ベッドを入れようと。
そして掃除もやる、もっとまめに来ると話した。
きょうだいたちにもそれぞれ協力を求めると話した。

母はただただ、腰が痛くて痛み止めを飲んでも注射を打っても
ごくわずかな時間しか効かず、夜がつらい、朝起き上がりが
つらい、と泣き言ばかりで、とにかく家で何もできないのが
ストレスでさらにイライラが溜まっている、と。

つらい、つらい、つらい・・・ただそれのみ・・・

かわいそうだが、何もしてあげられない。
その日行ったのは内科だったが同じ病院の整形外科にも通って
おり、腰椎変形はわかっているが、高齢のため手術も医師は
勧めず、ただただ痛み止めとリハビリで改善をめざすしかない
という診断のようだ。もちろんほかの病院にも通ったことが
あるが改善はなく、鍼も試したが、今はそこに通うことすらも
難しい・・・つまりは・・・打つ手なし。

同居家族が一人いるので、とりあえず夜は一人ではないが
家族も昼間は働いているし、そもそも腰痛は誰にも止められない。
同居家族もずっとネガティブなことしか言わない母にまいって
いる・・・そして母もそれがわかっているからなおさら鬱に
なる・・・その悪循環。

家に帰り、ショックと疲れと、どうしようもない感情と
母がかわいそうという思いと、でも何を言ってもしても
落ち着かせてあげられないというむなしさと・・・
いろんな気持ちが入り混じってつらかった。

その日からわずか3日しか経ってないが、もうすでに何回か
メールと電話で母とやりとりをしている。
母はもう・・・施設に入りたいと・・・
毎日泣いてますと・・・。

急展開に私は再びショックを受ける。

わたしたちはずっと母のつらいとかしんどいとか、ここ
数年気持ちの落ち込みを訴えられてきたので、それをまともに
取り合うことができなかった。

本気なんだ、ほんとにつらいんだと思った。

母の望みをすぐ叶えてあげることは難しいが、いずれにしても何らか
の介護は必要だ・・・介護を受けるとそのままどんどん悪くなる気が
して一度はどうかと思ったが、母が望むことをしてあげようと思い返し、
具体的に打てる策を考えることにした。母がそうしたいと言うから。

何年も前から会えば喧嘩ばかりですっかり性格が変わってしまった母。

でももしかしたら話せる時間も、残り少ないのだろうか。

そう思うと心がざわついて落ち着かなくなる。

母の急変で、いきなり介護が目の前にやってきた。

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K子さんとの再会、母の緩やかな衰え [母・家族のこと]


先週木曜、約3年ぶりに(コロナ前に会って以来)、友人K子さんと
新宿で再会。いやー、家族以外で友人と会うのはほんとに久しぶり。

もともと友人は少ないけど、K子さんとは昔派遣で働いたときに
出会って意気投合、今もお互いたまたま似たような業界で仕事をして
いることもあり、唯一、仕事についてじっくり語れる大事な友人なのだ。
とてもバイタリティある人なので、会うたびに刺激される。

ゆっくり話せるよう、人が少ないとにらんでお高めの純喫茶にした
のだけど(場所決めはだいたいいつも私の仕事)、意外や意外、
けっこう混んでいた。平日の午後なのに。
すっかりパンデミックは開けてしまったのだなぁと思った。

久しぶりということもあり、話ははずんだ。
仕事のことを話せる人ってほんとに彼女だけなのでいろいろ話せて
すっきりした。K子さんは相変わらず行動力があり、すごいなぁと
思う。趣味や勉強の幅が広い。忙しいのにうまい時間の使い方を
してるのだと思う。仕事を受けると他のことがほぼできなくなる私
とは違う。今回もとても刺激になった。よく笑ったし。

で、帰ってきたら、久しぶりに人とたくさん話したせいか、ぐったり
疲れて(+_+)、その日は私にしては早めに寝れた。
久しぶりの感覚だった。パンデミックはほんとに終わったのだなぁと
じわじわ感じた。またじわじわ感染者は増えているけど、もう周りは
すっかり、コロナ明けムードだ。

その証拠に、長崎の友人のY子さんからもちょうどこのタイミングで
連絡があり、台風だけ避けられれば今週会う予定だ。
Y子さんが出張で上京するので、会いたいなぁと連絡をくれた。
彼女ともずっと会えてない。遠距離なうえにパンデミックがあった
せいでなおさら会えなかった。

わー、いろいろ続くものだなぁと。会えたらいいな。
どうか台風の影響を受けませんように・・・。


しかし、嬉しいことばかりではない・・・

母のことで心配なことがちょっとあった。
母の病気はゆるやかに、だが少しずつ進行しているようだ。
それを象徴した出来事があり、同居家族から知らされ、
どーーーんと落ち込んだ。

さらに家がまた荒れ始めているらしい。物が片付けられないので
いたるところに服など置きっぱなしらしい。
はぁ・・・

見にいくべきなのだけど、ついつい避けてしまう・・・
見たら言ってしまいそうで・・・病気の事。
母にはまだ告知してないけど、言いたくなってしまう。
元来は賢い人なので、言ってあげたほうが自分で注意できるんじゃ
ないかと思うのだ。でも逆の反応もあり得る。
でもそのうち・・・行かねばと思う。現状を知るために。

電話で話だけはした。元気ではあるようだ。
ただし年々、妄想が激しくなっていく。
母の話を真に受けて、同居家族に別途電話し、状況を確認したところ
そちらの話のほうが納得できたので、今後は母の話を真に受けず、
客観的に判断しなければ・・・と思った。
ふと思い返すと、私には母は賢い人、というイメージがあって、
母の話を疑って聞くことはあまりなかった。でもこれからは、違う。

飼い猫の体調の事を心配していたので、それ関連で情報を調べて
メールし、「だからとりあえずは様子見で大丈夫」と伝えた。
そしたら少しは落ち着いたみたい。こういう接し方を徐々に私も
学んでいかねばならない。

怖がってもその時はくる。
私自身、もう若くはない。
現実をしっかりとらえて必要な話し合いをして、家族で静かに
余生を見守りたい。




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義両親との旅行 [母・家族のこと]


義両親とかなり久しぶりに会った。

コロナを理由にしていたけれど、なんだかんだ、義実家に帰ると
気を遣って疲れる&お義母さんもいろいろ気を遣ってくれてそれも
気が引けるので、夫だけ帰省してもらって、私は留守番していた。
孫を産めなかった後ろめたさもある(義両親からは圧力はなかったが
周りの親戚からは過去にはちょっとあった。なので帰省は苦手)。
それでもお義母さんには毎年母の日の花を贈るし、あちらから
お米なども送ってくれるし・・・など、時々メッセージは送り
合っていた。

でもやはり、今年に入って実家の母と私たち夫婦で旅行して、
自分の親の老いもまざまざと感じたし、そういう意味では義両親
もだいぶ高齢なので、少しはケアしてあげなければとも思ったし、
(普段は義妹一家が近いのでケアしてくれている)
最近あちらの親戚の不幸が続いたので、気落ちもしているだろう
ということで、ばたばたと手配して旅行を決行した。

でも予想以上に、この直接会わなかった2-3年で義両親の老いも
感じる旅行となった。夫自身も、ただ実家に帰省したときの
両親と旅先で一緒に行動する時の両親ではまた状況も違って
足腰の衰えだとか、食事があまり多くは食べれないとか
トイレが近いとか(それは私もほぼ一緒だけど)自分の親の
老いを自覚したところはあったようだ。

これが最後の旅行になったと思う・・・。
私たちなりに義両親に負担の少ないプランを考えたつもりだった
が甘かった。

親孝行のつもりが、無理してつきあってくれたんだなぁと感じた。
申し訳なかった。
でも一度でも一緒に旅行できてよかったと思う。

お義母さんのことをさりげなく気遣うお義父さんもすてきだった。
二人の後姿を見ながら夫婦っていいものだなと感じた。
あのご両親だから、夫も言葉数は少ないけど優しい人なんだなと思った。
旅の最後に二人を駅で見送った後、夫は少し涙ぐんでいた。
「〇〇ちゃん(私の事)、ありがとう」と言ってくれた。
夫も両親のためにお世話頑張ってた。お疲れ様。

切ないながらも、反省もいろいろあるけれど、とりあえず
無事に終わってよかった。写真を何枚か撮ったから、プレゼント
しよう。


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喜寿祝い旅行・ひたすら夫に感謝 [母・家族のこと]


4月からずっとコロナのせいで延期延期してきた母の喜寿祝い旅行を
ようやく決行できた。

たった1泊だけど、どっと疲れた。

母の老いもより一層感じた(筋力・知力)。
特に筋力の減退は進んでいるなぁと感じた。
ショックでもあり、仕方ないことなのかとも思う。
コロナ禍であまり会ってなかったし、その間のブランクの
せいもあるかもしれない。確実に老いている。

最後かもしれない親孝行を遂行できたのは自己満足でもよかった
と思う。母に対するいろいろな思いを打ち消して、徹した。
母も母なりに喜ぶふりをしてくれたのかもしれない。

そして何よりも、夫に深く感謝。
金銭的なことだけじゃない。彼のやさしさに頭が下がる思い。
私の自己満足の親孝行につきあってくれてありがとう。
感謝の足りない母に腹も立てずにやさしくしてくれてありがとう。
運転も疲れたと思う(私がペーパーなので申し訳ない)。
私にはもったいない人だ。

これからのことを考えるといろいろ悩む。
介護・・・その前に仕事を辞めさせて免許も返納させないと
いけない。いくら言っても聞く耳もたない母にどう対処すれば
いいのか。
誰か教えてほしい。

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なーんもない日に見た夢 [母・家族のこと]


今日は久しぶりに「なーんも予定がない日」だった。
在宅ワークは昨日納品しておいたし、ヨガスタジオは定休日だし、
おまけに今日は夫が出社の日で、昼食を作る必要もなく(私だけ
なら昼は食べない)、ほんっとに自由!

夏からずっと仕事が忙しかったし、予定なくても夫が在宅勤務だと
ちょっとは気を遣ってうだうだしてもいられないし、今日みたいな
完全自由デーはなんだかほんとに久しぶり(^^♪

とはいえ、こういう邪魔が入らない日こそ忙しさにかまけて
さぼっていた細々した片付けや掃除をやろうと朝ははりきっていた
のだけど、ちょっとだけのつもりでソファーにごろっと寝転がって
電気毛布を掛けながらiPad見てたら、いつの間にか寝落ち(+_+)
毛布のぽかぽかさにやられた・・・orz

で、夢を見て。

絶縁した実家の家族に会いに行くという夢だった。実家は知らない
間に犬を親戚から引き取っていたり、変なリフォームしてたり・・・
よく知った土地なのに、なぜかすっかり道に迷ったり・・・
しばらく絶縁してた間になんでこんなに変わっちゃったんだろう、
とものすごい疎外感を感じるという陰鬱な夢だった。

起きた時に、窓際の陽だまりでいつものようにぬくぬく平和に
寝ている愛犬を見て、「は、夢だったのか」とほっとしたε-(´∀`*)ホッ

と、同時に、コロナを理由にしてほぼ絶縁状態にある実家のこと
も考えてしまった。潜在意識的に気にはなっているのだろう、
母の状態・・・。病気の兆候があるのに(母には告知してない)
勝手に仕事の契約を更新したことが私はどうしてもまだ納得して
なくて(告知してないから仕方ない面もあるけど、仕事は今年の
春で終わりと約束していた)。最後に話したのは4月で、かなり
言い合いになったことが私の介護日記に書いてある。

未だに仕事は何より心配で、早く辞めてほしいと思ってるけど
むこうもあの大喧嘩以来、何も言ってこないし、まったく
様子がわからないので、さすがにもうそろそろ様子伺い
ぐらいはしなくてはだめかなぁ、と・・・。

なので母と同居している弟にこっそりメールしてみたが、彼も
特に母のことは言わず。近いうちに立ち寄るとだけ言っておいた。
でもなんか・・・とっても憂鬱。
行くべきか、家族に様子だけ聞くだけにするか・・・。

そんなことを悩みつつ、大掛かりなことをする気力はすっかり
失せてしまって、スーパーで買い物をして愛犬と散歩して、
ちょこっとだけ気になってたところを片付けて、今日の
スーパーフリーデーは終わり。ちーん((+_+))

まぁこういう日があってもいいか・・・。

仕事は11月から12月にかけてまた大型案件の発注がきた。
私が嫌々受けていたシリーズの案件はどうやら終わった?らしい。
しかも今回の案件は私が昔いた業界の案件なので、たぶんそれで
白羽の矢が立ったと思うのだけど、そうなるとちょっと緊張
する・・・期待に応えられるだろうか。今からドキドキだ。
でもこの仕事はいろんな業界のいろんなものに触れるので、
どんな案件でも毎回、チャレンジだと思って、一回は受ける
ようにしている。やってみてダメかどうか考える。
今の仕事のモチベ、ちょっと下がってきてたから、今度の案件
はうまくいくといいな・・・。

今週は木曜に藤井風さんのライブもあるから(楽しみ♪)、
仕事は休み予定を予めしっかり入れておいた関係で、明日も
フリーだ。でも明日はお出かけ予定。憂鬱なことはいったん
置いておいて楽しもう♪


BTW、デヴィ夫人が不妊は搔爬が原因と主張してるとか。
私は搔爬経験はないもののできなかったけどね。男性不妊の
場合もあるし、一概にそれが原因なんて言えないと思う。
不妊治療助成は受けたくても受けられなかった。体の負担
もあってやめたけど、もちろん経済的な負担もあきらめた
原因のひとつ。これから助成受けられる人はいいな。
不妊治療がオープンになってきたこともいいことだと思う。
悩んでる人はたくさんいる。デヴィさん、そんなに主張する
ならちゃんと医学的なエビデンスを示してください。
いずれにしても私はそれが原因という該当者ではないけどね。

別件。屋外会場で風船を大量に飛ばす某ライブの演出については、
ちゃんと環境に配慮してやったのかなと心配になってしまった。
調べたら風船やひもなど、自然界で分解可能な素材を使っていれば
環境汚染にはならず問題ないという見解もあるようだけど、
そこまで配慮してあるのかな。そうでありますように。
今はエコバッグとか紙ストローとか、皆が環境を意識する時代。
そこは大事に考えてほしい。
そもそも論だけど、こんな東京のど真ん中でやって、電線に
引っかかって問題・・・とかにはならんのかな? ある意味
けっこう大胆な演出だなぁと思った。悪意なく。

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通院付き添い [母・家族のこと]


先週、母から、体調不良で受診した検査結果を先生が家族に説明したい
ようなので通院に同行してほしいと打診されてからずっと心が重かった。
なぜ私?の疑問も消えてなかったし。

今朝、朝早くに家を出たが、その時点でも気が重かった。
が、先生から結果を聞いて、今後のことなどを話し合ったことで、
私の中のもやっとした感情も診察室を出る頃には消え去った。
なぜ母が私を指名したかなんて、もう取るに足らない点だったからだ。

本人が現在の症状が「本当に」つらいんだということも認識した。
生きがいとする仕事を一時的にでも休むことに同意したからだ。

母が会社に言いづらいというので、母の職場にも出向き上司に直接話して
許可をもらった(但し、今日の段階では深い話はできなかったので、また
別途、上司の方とは連絡を取ろうと思っている)。

そもそも70代半ばの高齢者が、仕事を休みづらい、というのは健全では
ない気もした。そういう圧があるんだなというのは母の職場に出向いて
私も実感した。長年お世話になった会社だ。私達子供を育ててくれた
のもいわばこの会社だ(一番は母の頑張りだが)。
失礼のないように、でも伝えるべきことは伝えていかねばならない。

母と別れた後、ぼーっとしていたら降りる駅を間違えてしまった。
気晴らしに、夫の好きなものや台風の備えなど、食材をたっぷり
買いこんでから帰った。

夜、兄弟全員と連絡を取り、一人一人に母の状況を話し、みんなの
考えも聞いた。
先生と話した時に、私だけの一存ではなく、今後に向けた「家族
としての総意」が必要だと感じたのだ。
母には、皆にも今夜連絡とって、仕事休むから顔出してあげてとか、
日常生活を手伝って、とか頼んでおくよ、と言っておいた。

母はむしろそうしてほしいようだった。たぶん、何年にも渡り、自分
がとてもつらい症状なんだ、と訴えてきたことに、私たち誰一人として
真剣には取り合わなかったから・・・通院に同行した私から話して
ほしかったのだろう。

兄弟それぞれの反応だった。私が知らなかった母の症状の話も聞いた。
できるだけメモして、いずれ先生に報告しよう。
これからブログではなく、専用のノートを用意して、いつでも先生に
見せられるように準備しなくては。
私が目的としていた、家族の総意としては、一定のものを得た。

これから少しずつ母の生きがいがなくなる・・・その反動をみんな
心配している。症状が悪化するかもしれない。私だって不安だ。
先生にも質問した。
でも結局、究極の二択を迫られたとき、母や私たち家族が大変になる、
第三者を傷つけたり取り返しのつかないことをしてしまう、
このいずれかなら私は迷うことなく前者を選ぶ。
それが家族としての正しい選択だと思う。

私たち兄弟は疎遠だ。ほぼめったに母を介してしか話さない。
でもひとつの秘密を共有することになった。
そして、これから何年か、共に向き合っていくことになった。

全員と話し終わったとき、ようやく今日やるべきことのすべてが
終わってほっとした。それまで気が張っていたのか、キッチンで
洗い物をしながら、自然と涙が出てきた。

この時間でまだ眠れない私も長年、睡眠障害と戦っている。
薬なしでは寝れない。胃腸もおかしく、胃腸薬の頻度が増えている。
でも今は頼れるものは頼ろう。いま倒れるわけにはいかない。


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一難去ってまた。 [母・家族のこと]


子宮がん疑惑で精神的に大変だった少し前。

疑惑が晴れて、本当にほっとして、9月末の契約満了を迎えた。
がんでなくても、やっぱりもうあの暑さの中の通勤が辛くて、辞める
ことにしたのはよかったと思う。

最終日は、大きな花束と、隣席のマダムと師匠からそれぞれ個人的に
ギフトをもらった。そこまでしてもらう義理もなかったので、静かに
去りたかったのだけど、むこうはなんだか盛大に送ってくれた。
とはいえ、送別会はパスしたけど。

別事業所の人達にもお世話になったから菓子折りを送っておいた。
一番やりとりが多かったHさんという男性社員から、わざわざメール
と電話ももらい、来週からやる気が出なくなります、なんて惜別の
ありがたいお言葉までもらった。ありがとう、Hさん。

いろいろあったけど、ともかく終わったことに私はほっとした。
猛暑の中で貧血の中で、つらかったなぁ、毎日。よくがんばった。

その後、すぐ、慰安旅行じゃないけど、夫におねだりして、軽井沢
のリゾートで1泊愛犬連れてのんびり旅行もさせてもらった。
楽しかった。ありがとう、夫。

旅行から戻り、ようやく、スローライフが始まったが、さっそく
髪をばっさり切った。こんなにショートにするのは子宮筋腫の
手術の時以来だろう。馴染みの美容師さんがうまく仕上げてくれて
とっても手入れがしやすくなった。もう長くは伸ばせないかも。
仕事あるときはなかなか勇気が出なくて、ショートまではできなくて
セミロングを横だけ後ろにまとめて、ごまかしていたけど、
今はほんとに快適。

ぼちぼちなんか簡単にできるバイトか、あと断捨離も再開したいと
本を読んだり、履歴書書いたり、そして体調悪い時にできなかった
ヨガも再開して、1週間はあっという間に過ぎた。
スローと言いつつ、忙しかった。

ヨガができる、それだけでも健康な証拠で、ほんとありがたいと
思ってる。がんじゃなくてよかった・・・。
ただ、体中の湿疹がまだ治らなくて・・・仕事辞めたら落ち着く
かなと思ってたのだけど、これはまだ時間がかかりそう。

来週から本格的にスローライフだ!断捨離がんばるぞーと思って
いたところで、母からメール・・・。

脳神経内科の検査を受け、結果を娘である私に話したいと医師に
言われたので、来週、病院まで来てほしいと。

気持ちは一気に急降下。

もともと、鬱だ、認知症だ、と毎回、メールするたびに話されて
ほんとに毎回毎回、こっちが鬱になりそうな内容のことばかり
言ってくるから、うんざりして、最近は返事もしなかった。
体調悪いなら仕事辞めて、車もやめて、と話したところで聞く耳も
持たなかったし。

そのメールを見た時も、心配よりも「なんで次女の私に?」と
少し腹立たしく思った。上にも兄弟はいるし、なんせ弟は同居も
している。姉は少し遠くに住んでいるが、行けない距離でもない。
普段は彼らのことばかり世話焼いてるくせに、私が夫と訪問しよう
とすると「来るな」とさえいうこともしばしばなのに、なんで
こういう時だけ私を頼ってくる? 私はもう嫁に出てるんだから、
実家のことは他の兄弟でなんとかしてほしい、というのが率直な気持ちだ。

しかし、医者が子供に話しておきたいというのだからもしかしたら
相当深刻なのかもしれない。とりあえずそれは聞いて、後のことは
考えようと、なんとか冷静を装って、OKの返事をした。
文句を言いたいのも、ぐっと我慢した。
逆に言えば何か病気なら、仕事と車を辞めてもらう理由にもなる。
さすがの母ももう私のその進言を無視はできないだろう。
無視するなら、私を頼るな、ということもできる。

母には育ててもらった感謝はある。でもここ長年の母のこと、私は
正直言って、不快な思いばかりしている。

これからどうなるのだろう。いよいよ親の介護生活が始まるのだろうか。
不安でたまらない。バイトなんて探してる場合じゃなくなった。

とりあえずはこんどの金曜、病院に行くまで、この気持ちを忘れて
穏やかに過ごしたい。

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実家に泊まる [母・家族のこと]


先週末は実家に泊まった。

ここ数年、母とは微妙な関係だったから顔を合わせるのも年に1-2回なのに
泊まりでの帰省はもう何年ぶりだろう?という感じだった。

理由はあって、この連休に東北に旅行に行くのだが、さすがに遠距離と
なると愛犬を連れていくのは移動も宿も難しくて、久しぶりに夫婦
水入らずで行こうということになり。

その間、ペットホテルではかわいそうなので、犬も猫も飼ったことのある
実家の母に預かってもらうことにしたのだ。

その練習というか・・・愛犬が実家に慣れてくれるよう、私と泊まりで
土日だけ実家に行ったのだ。

ちょうど母の74回目の誕生日だったから花束とケーキも持って。
実家には同居している弟がいた。他の兄弟も来れる距離にはいるが、
呼ばなかった。うちの家族は皆、微妙な関係なのだ・・・

母は今でもバリバリ働いている。なんとこの4月から一旦退職した会社
に最終就職で1年間、また正社員をやるそうだ。それまでは嘱託だった
のだが、会社のほうも顧客をたくさんこのおばあさんはまだ使えると
思ったらしい。

東京の郊外なので、車の運転は必須。
私からすれば、できれば早く仕事を辞めて、車の運転ももう近くの
スーパーぐらいにしてほしいとずっと考えていた。
でも本人は愚痴を言いながらも仕事は続けたいようで、そろそろ辞めて
ゆっくりして、という娘の希望を叶える気はまったくないようだ。

ともあれ、以前からわかってはいたけど、実家は物が多い。
物に支配されていると言っても過言ではない。
断捨離を遂行中の私から見たら、その物だらけの家の中を見るだけで
ストレスで、とても居心地が悪い。

こんなことを言っては悪いが、母が亡くなることがあれば、これを
片付けるのは弟でも他の兄弟でもなく、きっと私の役割になる・・・
兄弟で一番しっかり者の私がきっと一番大変なことになる。
だからこそ、できれば物は少なくしていってほしいのだが・・・。

一番居心地が悪かったのは、夜、寝室として使った2階の空き部屋で、
ここは壁の両脇にかなりの物が積まれている。段ボールもいっぱい。
母がなんとかふとんを敷いてくれたが、夜中じゅう、寝返りを打つ度
に足が横にある何かの段ボールにあたって、とても窮屈だった。

母は家を一度建て替えている。さらにキッチンやお風呂も定期的に
リフォームしている。女手ひとつでその経済力にはリスペクトするが
いっぽうでいくら家をきれいにしても、結局はすぐに物だらけに
なって、ごみ屋敷とまではいかないまでも、とても人にお見せできない
状況になってしまう・・・これは一種の老人病なんだろうか。

最悪だ・・・これは絶対、いずれかのタイミングを見て、断捨離を
実施しなければならない・・・と、心折れそうになりながら一晩を
過ごした。

私がトラウマになっている、流し台に置いたままの食器も昔と変わり
なかった。食洗器もついているのに、流し台に洗いカゴを置き、その
中にも洗った食器がいっぱい・・・
使った食器も、シンクに置いたまま、溜めてから洗う。
これは昔から変わらない。いつも我が家にはシンクに食器が積まれて
いた・・・

この光景が子供心に強く記憶に残っていて、一人暮らしを始めてから
結婚した今も、私は食器は使ったら比較的すぐ洗う。食洗器の中や
シンクに掛けた水切りで少し水を切ったらキッチンペーパーかふきん
で拭いて、食器棚に戻す。食器が積まれたシンクがトラウマなのだ。

なので、今回の帰省中も私はコップやお皿を使うたびにすぐに洗って
水切りをしておいた。そこは黙って、やっておいた。

しかし、そうしたちょっとした憂鬱をのぞけば、久しぶりの帰省も
悪い事ではなかった。

愛らしい行動をとる我が愛犬がいたこともあり、母は終始ご機嫌だった。
いつもよりは愚痴も少なく、楽しい誕生日を過ごせたのではないかと思う。

近くにはとても広い、風の気持ちがいい芝生の公園があった。
私が住んでいる都内の地域では犬連れNGな公園が多い。
衛生的でない、万が一、子供に危害を与えたら危ないなどの理由だろう。

だが、郊外はそのあたりはまだ寛容で、実家近くの公園はどこも犬禁止
ではなかった。犬にとってはパラダイスだ。

それから夜、都会のように明るくないので、満月のお月さまがとっても
大きく、きれいに見えた。これはちょっと感動的なぐらいだった。

ここは京都かと思うぐらい、きれいな竹林もあった。
母によると昔からあるというのだが、私にはまったく記憶がなくて、
子供の目線と大人の感覚では見るものがまったく違うのだなと思った。

ほとんどの若者が他の地域へ出て行ってしまった中、中学校の同級生の
一人が、細々と実家の酒屋店を継いでいた。
いくつかのお店は私がいたころから変わらず、まだ残っていた。

たまに実家に帰って、昔、遊んだり買い物をしたところを回るのも
いいものだな・・・と思った。都会では味わえないノスタルジックさが
そこにはまだ残っている。

とはいえ・・・慣れないところで寝たり、愛犬が庭から脱走して追いかけ
たり、いろいろあって、とっても疲れた・・・日曜に夫に迎えにきて
もらってまっすぐ自宅に帰ってから昼寝したが、今日は疲れが完全には
取れず、仕事中もぼーっとしながら、あくびも何度もしてしまった。

やはり私にとって、我が家は都内のこの家なのだな・・・と思う。
まだまだ断捨離途中だけど、ひまができたらさらに頑張って物を減らして、
実家の整理も手伝えるようになる余裕がほしいと思った週末だった。

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